7日目の恋文
ナムジュン!まずはお誕生日おめでとう。
今年もあなたの誕生を祝えることを本当に本当にうれしく思います。私の目にとまるところにいてくれてありがとう。世界の注目を担って成長し続けていてくれてありがとう。あなたに出会えたこと、あなたが存在していること、あなたが生きていることぜーんぶにありがとう!
ちょっとこのメッセージは重いかもだから、一回いっしょに蜜月旅行に行って重さも6分の1にしない?頼む。月でもいいしどこでもいい。うーん!でも新婚旅行はやっぱハワイとかにしちゃおっか????????
はい。
ここから先は自分語りなので、頼む。(頼む?)(なにを?)(関白宣言?)
公開したかは覚えてないけど、田舎に住んでいた私にとって、初めて当たって、初めてBTSに、そしてナムジュンに出会ったライブ、2018年11月13日の東京ドームでのライブについて書いていた文章がスマホにあったから公開する。たぶん公開してないと思う(なぜなら途中で終わっていたから)。
『東京ドームで人生を感じた
BTSの東京ドーム公演1日目に行ってきた。
私は色んなジャンルのオタクを並行してやっているのだが、実家がド田舎もド田舎で、(交通費的な意味で)舞台だったりコンサートだったり...。色々な現場にはさほど行ったことがなかったし、行かないことが当たり前だった。この気持ち分かる人はわりといると思う。田舎死にてえよな、往復交通費で平気で7万くらい飛ぶもんな...
だから、この度大学進学にともなって都会進出!ということでわくわくしながら行ったのだけれど、コンサートというものを、私はなめていたと思う。
そう思ってしまうほどすごかった。
私にとってのはじめてのドームが彼らでよかった。
あの日は、Tシャツの話とか色々あって、誰も相手にしていなかったとはいえ東京ドームの前で「なぜコンサートに行くんですか!」等、嫌な言葉を叫ぶ人たちもいた。
そんな中での、コンサートだった。
正直不安でいっぱいで、でも彼らを見ることができると思ったら胸がいっぱいで、いろんな気持ちがごちゃ混ぜになった状態で会場に向かったのをおぼえている。
結果、めっっっっっっちゃよかった。
そりゃもうすげえよかった。何だ?一生離れたくねえと思った。
けれど私はナムペンだから、あの日のナムジュンがかぶっていた仮面についてずっと考えていた。
きっと誰もが感じていたことだろうけれど、あの日の彼はいつもの彼じゃなかった。
アイドルとしての責務をしっかり果たしていた。しっかり、“仕事”してるな、と思った。
いやまあ仕事してるから当たり前なのだが、うーんなんて言ったらいいんだろう...、
海外で気の抜けないインタビューを受けているときに似た表情をしていた。ずっと。
ツイートもしたのだけれど、彼は「一貫したことを言う」ということに非常に重きをおく男だ。
昔から今まで、成長はしても根本にあるものは変えてはいけないと思っているのだろうし、ファンとアイドルの関係だけに限らず、人と人の関係でも、一貫したことを言う人は信用される。
自らの影響力を理解している彼は、決して無責任なことは言わない。一貫しているということはどんなときもはっきり意見を言うこととは違う。一貫したことを言えないと判断したとき、彼はしっかり言葉を濁す。
「ファンに幸せになって欲しい」
「僕たちが幸せじゃないと説得力がない」
Trivia承:Loveを歌っている彼を見たとき、泣いてしまった。声が震えてコールができなかった。くずおれそうになるのを堪えて、涙で滲む目を拭って、彼の姿を目に焼き付けた。
角ばった部分がたくさんぶつかってきて、それでもこうして…』(ここで力尽きている)
この時の私は知らないけれど、彼はこの後、“銀河”という答えを出す。それを聞いて私はまた泣くのだ。
この文章を載せて何を言いたかったかというと、今読んでも、ナムジュンのペルソナは変わっていないということだ。書かれた彼のパーソナリティに違和感を覚えることはない。たとえ3日前に書かれたものだと言われても信じることができるだろう。それくらい、彼のペルソナはずっとずっと、変わっていない。
今年は正直、色々あった。今年っていうか、去年からなのだが。詳しくはべったーのほうで公開しているので興味のある人は読んでみてね。この後ツイートしようかな。覚えてれば。
簡単に言うと、BTSの在り方そのものに疑問を抱いてしまったのだ。今まで自分の生き方のようなものをBTSに重ねていたからこそ、その反動は大きかった。私が変わったのか彼らが変わったのかわからなくなった。そこから、なんとなく追えなくなった。完全に嫌になるのが怖かった。これ以上深入りして、取り返しのつかないことになるのが怖かった。飽きたとはまた違う感情で、ずっと、もやもやしていた。
何度も何度も、このまま忘れられたらと思った。ちがうアイドルに情熱を注ぎきれたらと思った。すべてを忘れて初めの感情に戻りたいと思った。もうBTSのことはいっそ忘れたいとも、思った。ナムジュンに抱いているこの恋にも愛にも似た感情を捨てたいと思った。
でも、できなかった!!
私はどうしたってナムジュンのことがだいすきで、その記憶が貴すぎて、美しすぎて、満たされすぎていたのだ。だから離れられないんだ、私はBTSの過去に執着しているんだ、なんて醜いんだ、なんてグロテスクなんだ、なんて―…、
なんてみじめなんだって、そう思った。
そんなときに、Dynamiteが公開された。
正直ビジュの良さとか全然頭に入ってこなくて、音楽が良すぎて、彼らの作る雰囲気が素敵で、これ以上ないと思った。初めて聞いたとき、信じられないくらい泣いた。
今私は将来にかかわる大切な実習中で、正直毎週のようにオンオン泣いてるしぶっちゃけこれ書いてる今も23時とかでギリッギリだしこの後も指導案とか考えなきゃいけない、マジのマジにド修羅場真っ只中なんだけど、毎朝Dynamiteを聞いたら自然と背筋が伸びるくらい、私を救う曲になった。
本当に急なたとえ話をすると、私の世界をつくるとき、少し傲慢だけどそこでは私は神だ(夜神ライト?)。私はかの有名な天地創造よろしく、6日間で作ろうと思う。6日間で私に必要なものをそろえる。やることを全部やったら、おいしいミルクティーなんかも用意しちゃおう。バターがいっぱい入ったクッキーも焼きたい。それで、きれいな便箋と、書きやすくて見やすい黒いペン、それとたくさんハートを書くためのピンクのペンも用意して、そして。そして、7日目にあなたにラブレターを書こう。そうやって生きていきたい。あなたを好きでいることが癒しになるように生きていきたい。そうしてたくさん、あなたに送りたくなるようなラブレターを書きたい。一度ラブレターを捨てる覚悟で書いた私だから、その時の私は、きっと1日目にあなたにラブレターを書いていたから。
だんだん、私の人生にあなたが密接に絡んできているのを感じる。
だからこそ、私の人生を作るときにあなたに頼りすぎてはいけないのだと思う。あなたが価値基準になってはいけないのだと思う。
あなたの一貫したところを、尊敬できるところを見つめて、そうしながら生きていきたい。無理に重ねずに、ただ隣に並べてよろこびたい。声を聞いてときめきたい。ただ、あなたの存在の愛おしさをかみしめたい。人によって愛の定義は違うけれど、私は、それを愛だと言いたい。Dynamiteを聞くことは、私にそう定義づけることを許した。
タイトル詐欺になるがこれは厳密には恋文ではない。カテゴライズするとすれば宣誓文である。推しの誕生日に公開するようなものではない。だから、最後はナムジュンへの愛の言葉で締めたいと思う。
ナムジュン!私はあなたという人間そのものが大好きです。人は変わっていくものだから、私もきっと変わっていくけれど、あなたに向ける感情はきっと、たぶん、もうしばらくは変わらないかなと思います。だいすきだよ。私に出会ってくれて、ありがとう。
以上です。月に行っても5トンくらいありそうな重さ、かつ推敲もしてないのでめちゃくちゃな文章をここまで読んでくださりありがとうございました。蜜月の折にはTwitterでお知らせします。それでは、さようなら。
バンステを見てきた
BTSの映画、「Burn The Stage」を見てきた。
ぶっちゃけずっと泣いていたので、終わった後化粧室で見た自分の顔がブスすぎて映画の内容が飛びそうだった。おかしくない?今日マスカラうまくいったじゃんね。
その時にかろうじて残った記憶だけで書いているので、多少の記憶違いとかはあると思うが許して欲しい。
あとネタバレとかめっちゃあるので嫌な人はブラウザバックしてほしい。
なんか...何から言ったらいいんだろうなあ、とにかくナレーションがすごくナムジュンっぽい言葉の選び方で、いちいち泣かされた。
あと、私の捉えていた「砂漠」とBTSが言う「砂漠」ってちょっと違ったなと、誤解してたなとちょっとエヘヘとなった。知ったかおたくでごめん...。
彼らにとって砂漠とはイコール逆境ではないのだ。砂漠と聞くと、どうしようもなく乾いていて、辛い環境下に思えるのだけれど、彼らにとって砂漠にいることは、「いつまででも夢を見ることができる」ことなのだ。
つまり彼らにとって「海に到達する」ということは、「すべてを終え、満足してBTSを完成させる」ことなのだ。
ライブ会場で一度海を見て、また次の砂漠へ足を踏み入れる。
その砂漠では、逆境だったり、負傷だったり、およそ耐えきれないことが襲いかかるけれど、いつか見た海に向かって、そしていつか見た海よりずっと広く、ずっと大きい海に向かって歩いているのだ。
彼らの視界の限界よりももっと広い海を要求されても、彼らはそれに向かって歩くのだ。
「armyが側にいるから」「音楽が好きだから」と言って...。
彼らの海は一体どこにあるのだろう。今、彼らは海への道をどれくらい詰めているのだろう。
私は今回の映画を見て、ああ、BTSはいつか終わるのだと、当然のことを思った。
彼らのシャツの下で動く筋肉を見て、きっとこれがいつか衰えて、私たちのためではなく、自らが生きるためだけに動く時がくるのだと思った。
彼らは次々と賞を取っていく。
そして少しずつ、「BTS」という伝説も、作品も、完成していくのだ。
皮肉なことに、彼らが上に登れば登るほど、絆を深め、人間として成長すればするほど、BTSというグループに、世間から見られる彼らに温度がなくなっていく。
彼らが音楽にすべてを捧げ、情熱を燃やし、それこそ命を削って私たちに報いようとすればするほど、彼らは人間離れした作品になるのだ。
パンPDは、きっとそれを最も望み、そして同時に最も恐れているのではないかと思う。
映画の中で言っていた「幸せになって」という発言ももちろん、この映画の構成が何よりそれを物語っているのではないかと思う。
ステージの上の彼らは、無敵だ。
けれど2、3メートル下がったら、ふつうの人間なのだ。
そんな彼らが交互にうつされる。何度も何度も、「JIN」と「キムソクジン」の間を、「SUGA」と「ミンユンギ」の間を、「RM」と「ナムジュン」の間を、「J-HOPE」と「チョンホソク」の間を、「JIMIN」と「パクジミン」の間を、「V」と「キムテヒョン」の間を、「JUNGKOOK」と「チョンジョングク」の間を行き来する。
手ブレが残るカメラにうつされるのは、いつだって飾っていない彼らだ。
ジョングクがふらふらになりながらステージを終えたときに、「なんで無理したんだ」とホソクが聞いた。
ジョングクは、少し笑いながら、「ここでの公演は最後だったから」と言った。
その時のホソクの人間味溢れる表情を忘れられない。
あの一瞬で何を考えたのだろうか。「それでも無理するな」とか、「次もあるんだから」とか...。でも色々考えて、険しい表情を笑顔にして、「すごいな」と言ったのだ。アイドルとして見れば、その選択は決して間違いではないから。
この辺の記憶は曖昧なので突っ込まれても答えません。
こうして彼らはつねに、「アイドル」か「自分自身」かの選択にせまられている。
アイドルって言葉を作ったのは誰なんだろう、ただただ天才だと思う。
アイドル。偶像。
彼ら、彼女らは、ステージの上では最強でなければいけないのだ。
なぜならみんなの夢だから。
今回、彼らは彼らがつくりあげるはBTSという作品に自信を持っているのだと思った。
自信を持てるように、つねに行動しているのだと思った。
これから先彼らが海に到達したときに、のんびりこの映画を見て、こんなこともあったなあと笑う日がくるのかと思うと胸がいっぱいになった。
その日が早く来て欲しいような、来てほしくないような。
1ファンとして、最後のページまで彼らと一緒にいたいと思わせる素晴らしい映画だった。
最後に、私は今日これを知ったんだけど、この映画3週間しかやらないらしい。マジ?
早めに観に行くことをおすすめする。なぜならもう一度見たくなるから。
私は来週のチケットを予約した。財布に広がる砂漠は、いまは考えないことにした。
ってとこまで書いたけどこれネタバレだめな人読んでないな?ワロタ。こういうとこである。
今回ナムペン感出さなかったけど、私はゴリッゴリのナムペンなので、いつかこの記事が妻の過去記事としてZIPに紹介されることを願いつつ、結びたいと思う。
ありがとうございました。